2011年3月23 日(水) 思い

 地震と津波。
 とてつもない自然の脅威。多くの命が、あえなく、飲み込まれた。自然の脅威の前に、先進国、日本と言ったって、どうしようもなく、ただ飲み込まれた。波に流され、泥と瓦礫に埋もれた遺体。それが、どうしようもなく放置されているという状況。誰が、そんなことが起こると思っただろうか・・・・・

 長い長い地球の歴史の中では、人間は自然の脅威の合間、狭間をかいぐぐって生きてきたのだろうか。人間は、自然の天変地異・・・・気まぐれ・・・・には勝てやしないんだろう。 
 人間は、本当に、自然の中で、はかなくも生きている存在なのだ・・・・・そんなことを思い知らされた気がした。
 それなのに、バカな人間は、人間同士で殺しあったりもする。戦争して傷つけあう。いざこざを起こして、他の命を殺める。
 それでなくても、必ず、人間は死ぬのに・・・・時には、自然の猛威が爪をちょんとはじいただけで、人間は虫けらのように死んでしまうのに・・・・

 生きている人間は、一生懸命生きなくちゃいけないんだろう。  
 癒されることのない悲しみを背負いつつも、一生懸命、生きなくちゃいけないんだろう。

 そんなはかない瞬間の連なりである時間の中で、人は出会う。そして、好きになり、愛して、または憎み・・・そして、人と人は一緒に生きている。
 人間とは、切なく、そして、果てしなくいとおしい生き物なのだろう。


 このラオスにいて、自分は何かできるのか?と思う。何もできやしない。ただ、日本のニュースを見て、そして、メールで様子を尋ね、無事を聞き、ほっとし、頑張って!と言い、そこに居合わせない自分に、少し罪悪感を感じ・・・・・・・
 ただ、そんなことは言っても仕方ないことで、自分をしっかり生きていくしかない。

 でも、これまで、図書館などの活動を支えてくれてきた、日本の方々(特に仙台の人が多いし・・・)に、今まで以上に、感謝の気持ちを感じる。こういう時こそ、「ありがとう」の気持ちを言わなくちゃいけない気がする。本当に、ありがとうございます。

 でも、その感謝のお返し?に何ができるというのだろう?
 今、私たちは何ができるだろう?とりあえず、募金?
 たいした募金はできなくても、気持ちだけでも、伝えたい。

 そんな思いで、モンの刺繍の「ハート募金」というのを思いついた。モンの村で作っている刺繍のハートの形をしたストラップ。それを売って、そのお金を寄付したらいいんじゃないか?・・・・そんなことを思いつき、ただ、置く場所がうちでは、広がりがないので、日本人の若いご夫婦がヴィエンチャンでやっている素敵なお店「ユーララーカフェ」に相談に行った。お二人は「やりましょう」と、何とか始めることになった。
 ただ、募金をするのではなく、その代わりにハートを手に入れる。お金を出した人の手にも、ハートが残るし、日本に送るハートは、募金という形で表わすことができる。そんな募金箱をお店に置いてもらったら、少しは広がるのではないか・・・・
 はたして、うまく行くかどうかは、わからない。どれくらい集まるかも、わからない。
 ただ、今、何か、行動したい。みんなを応援しているよ・・・・という気持ちを、何かの形で行動にしたい・・・
 そう思う。
 
 自然の脅威には勝てない。でも、残った人たちは、右往左往しながらも、一生懸命、生きていくことができる。

 
3月25日(金) 兄

 兄が、福島第一に、応援部隊で行っている。彼は、現在本社勤めであるが、志願して行ったそうだ。4号機に、コンクリートポンプ車で、放水をしている。
 頑張ってくれ。無理しないでくれ。元気でいてくれ。
 会社は、世間の人の叩かれまくっているようだが、現場で、一生懸命、必死で、自分の命を顧みずに、なんとかしようと頑張っている人たちがいる。
 安定したサラリーマンだと思っていた兄が、今、まるで戦場で戦うような現場に、命の危険を顧みずに出ている。
 無理しないでくれ・・・・と祈るばかりだが、きっと、現場では、そんなこた言ってられない状況だろう。世間では、無理して死のうが、その会社の社員だから、仕方ないとか言うのだろうか?
 現場の人たちは、そんなことも顧みずに、命をかけて、頑張っている。
 
 なんとか、無事におさまることを祈っている。
 みなさん、どうぞ頑張ってください。でも、みんな無事でいてください。

 多くの命を守るために働いている。でも、それぞれが大切な命です。


3月30日(水) ガンバレ Tシャツ

 先週、ラオス在の日本人の友人からメールが入った。日本の地震・津波への寄付を集めるために、Tシャツを作ったという。その売上を、全部、大使館を通して寄付するのである。
 メールを読んだ途端、これは、いい方法だな…と思った。何かしたいけれど、何をしたらわからなかった私は、すぐ友人に電話する。「すごく、いいですね、これ。ラオスでは、ただ、寄付だけ集めても、なかなか集まりにくいかもしれないけれど、Tシャツを買うことで、寄付になるのならば、一般の人が参加しやすいし。」

 友人の、ラオス人の奥さんたちが中心になっているという。さすがだ。

 私とダンナも、売るのを手伝おう・・・ということにしたが、なんせ売るのは下手だし、友だちも多くないし・・・でも、何とか協力しなくちゃ!と、30枚預かってきた。

 白いTシャツのまん中に、スマイルみたいな赤い顔の絵。
 赤い丸い顔は、口は笑っているけど、涙を流している。
 悲しい。でも、寄付してくれてありがとう。応援をしてくれて、ありがとう・・・・という気持ちが表れていて、シンプルだけど、いいTシャツだと思った。さっそく、自分たちが着て、袋に代金を入れた。
 ダンナの友人のところなどに、「Tシャツを売りに来たよ」
と言って、Tシャツを見せて「ほら、これ」と言うと、みんな説明するまでもなく、
「買う、買う」と、とても、気持ちよく協力してくれる。
「ほら、お父さんも、お母さんも・・・」と、一家で買ってくれた人もいるし、「職場の人に売るわ」と、5枚まとめて買ってくれた人もいる。また、
「何かしたいって気持ちはあったんだけど、どうしたらいいかわからなかったから、少しでも協力できてよかった。ありがとう」と、返ってお礼を言われたりして、本当に、こちらも心があたたかくなった。
「がんばれ、がんばれ」
 Tシャツを売りながら、そんな気持ちになってきた。

 結局、2日間で、50枚を売ることができた。その上、追加で、25枚も、友人に託して売ってもらっている。
 中心になってこの計画を立てて実行したラオス人の人たちには、本当に感謝である。
「最初は、1000枚も作って、売れなかったらどうしようと思ったけど、足りないくらいよ。よかった」と、中心になっている彼女は言う。すでにもう、2000万キップ(20万円)以上、集まったのだという。
 お金を集めることが目的だが、動く人がいると、回りが刺激される。

 私も、このTシャツに刺激されて、自分でも何かできるかな・・・・と考えのが、先の書いた、ハート募金なのであるが、これは、本当に、わずかばかりのことになりそうですが・・・・それでも、このハート募金に刺激されて、「私も、日本に帰った時に、ラオスのクラフトを売って、そのお金を寄付することにしたの」と、友人が言った。「ハートに刺激受けたのよ」と。
 
 やっぱり、心で思うだけではなく、行動するということは、いろんな行動の輪を広げるんだな・・・・一人ひとりの力は小さくても、輪が広がるということは、素敵である。